岐阜提灯〜江戸時代から続くあかり文化

岐阜提灯(ぎふちょうちん)

  • 岐阜県
  • 経済産業大臣指定伝統的工芸品

■ 解説
岐阜提灯は、岐阜県岐阜市で生産される伝統的な提灯です。
その昔、現在の美濃市周辺で漉かれた“美濃和紙”は長良川を下り、金華山の麓の川湊に軒を並べる紙問屋に集まりました。
その美濃和紙と、周辺地域に豊富にある良質な竹、高度な技を持つ竹細工職人や木工職人が揃っていたことで岐阜提灯は作られるようになりました。
岐阜提灯は、美濃和紙の火袋(ロウソクなどの明かりを覆う紙の胴部分)に優美な草花や風景を描き、口輪や手板の木地部分にも装飾を施すなど、随所に技巧を凝らしています。
こうして工芸品としての価値を高めたことにより、日常の照明器具として需要がなくなった今日でも、インテリアや観賞用として作り続けられています。
岐阜県の提灯の生産額は全国一で、福岡県の八女提灯(やめちょうちん)と並び、日本の二大生産地となっています。

■ 歴史
今から約400年ほど前の頃から岐阜提灯は作られるようなったようです。その起源については慶長年間(1596~1615年・安土桃山時代)とも慶安3年(1650年・江戸時代)とも諸説ありはっきりと判っていません。
岐阜提灯は当初、尾張藩への献上品として作られていました。この頃はまだ彩色が施されていない無地の提灯でした。
18世紀中頃に、薄紙と細い竹ひごを用いた棗(なつめ)型の形状になり、現在の岐阜提灯とほぼ同様の形状になりました。
江戸時代の末になると、提灯の火袋に優美な図柄が描かれるようになり、富裕層がお盆や祭事などの特別な日に飾る高級な提灯として使われていました。
ただ、この頃の岐阜提灯は高級品で生産量は多くなく、日用使いの提灯ではなかったため庶民の手に届くものではありませんでした。
明治維新後、岐阜提灯は衰退し始めました。
1878年(明治11年)の明治天皇の岐阜行幸の際に、勅使河原直次郎(てしがわらなおじろう)が岐阜提灯を献上して話題になり、また海外の博覧会で評価されたことで、再び隆盛を極めました。
近年、照明としての用途から儀礼用・装飾用となった提灯ですが、1950年代、日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチが岐阜提灯を新たにデザインし製品化、「AKARI」と名付けられた照明器具の200種類を超えるシリーズは「光の彫刻」と称され、世界中で人気があります。

■ 盆提灯と岐阜提灯
盆提灯には、吊り下げ用と、据え置き用があります。
吊り下げる提灯として「御所提灯(ごしょちょうちん)」があり、元は御所への献上品として作られた高級な提灯でした。これを岐阜提灯と呼ぶこともあります。
また、据え置き用の「大内行灯(おおうちあんどん)」は、1889年(明治22年)に勅使河原直次郎によって考案されました。「大内」とは御所など格式の高い場所のことで、先祖を祀る仏間に置く提灯(行灯)であることから名付けられたようです。

1995年(平成7年)4月5日、通商産業省(現 経済産業省)により伝統的工芸品に指定されました。

外部リンク 岐阜提灯協同組合
外部リンク AKARI(株式会社オゼキ)
外部リンク NHKアーカイブス>動画で見るニッポン みちしる>岐阜提灯

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