伊勢形紙 〜緻密な職人技は現代アートへ昇華〜

伊勢形紙(いせかたがみ)

三重県
経済産業大臣指定伝統的工芸品
着物の生地に柄や文様を染める際に用いる「伊勢形紙」は、そのほとんどが伊勢の白子(しろこ)周辺の地域で製作されており、「伊勢型」や「白子型」とも言います。
「伊勢形紙」の元となる台紙を「型地紙(かたじがみ)」と呼びます。
「型地紙」の製法は、まず美濃和紙を規定のサイズに切りそろえ、繊維の方向が交互になるよう数枚を柿渋(未熟な渋柿から作られ、紙を丈夫にし耐水性を持たせられるため、和傘や昔の雨合羽ににも利用されました)を塗って貼り合わます。それを天日で乾燥させ、次に1週間ほど煙で燻して硬化させます。さらに数年寝かせた「型地紙」は水にも強くなり、染め付けの際に破れたり伸縮したりしなくなります。
染め付けに使われる型紙は、染物屋が図案師に図案を依頼し、その図案から職人が「型地紙」を専用の彫刻刀で切り抜いて作り上げます。数千種類にも及ぶ様々な彫刻刀を使い分けて「縞彫り」「突彫り」「道具彫り」「錐(きり)彫り」といった技を駆使し仕上げます。複雑な図柄になると型紙が完成まで、1ヶ月を要する場合もあります。
こうして作られた「伊勢形紙」は依頼元の染物屋に戻り、染めの工程を経て小紋やゆかたなどの着物を美しく彩ります。
室町時代の絵図「職人尽絵(しょくにんづくしえ)」には型紙を使う染め職人が描かれており、その頃には型染めは一般的だったようですが、なぜ伊勢・白子の地で「伊勢形紙」が作られるようになったのか、またそれはいつの頃から始まったのか、発祥については諸説あるもののはっきりと判っていません。
不思議なこと「伊勢形紙」の白子は染色業が盛んでもなく、また材料となる和紙や柿渋も地元の特産物ではありません。
つまり、他の地域から材料を取り寄せ、巧みな技術で製作した「伊勢形紙」という製品を作り、その製品は他の地域の加工品の道具として使われていることになります。
それはまるで今日の日本の貿易と産業を先取りしていたかのようです。
江戸時代に、染め物の産地と直接の繋がりを持たなかった「伊勢形紙」の職人とそれを取り扱う商人は、現在の産業協同組合のような「株仲間」を作るとともに、紀州藩に援助を願い出ました。紀州藩の後ろ盾を得て手篤い保護を受けた「伊勢形紙」は、その後大きく発展しました。
江戸では武士が裃(かみしも)の小紋柄の絢爛さを競うようになり、庶民の間でも工夫を凝らした小紋柄が広まっていくと、染物屋が求める図柄はどんどん細かく複雑化していきました。その要望に型紙職人が応えることで「伊勢形紙」は多様さと精緻さを極めていきました。
現代では和服の減少と共に染色用としての「伊勢形紙」の需要も減ってしまいましたが、伝統に培われた技による美しい意匠の型紙そのものに価値が見出され、照明器具などのインテリア用品に使われたり、型紙自体をアートとして鑑賞するなどの広がりを見せています。

1955年、伊勢型紙の技術が重要無形文化財に指定され、6名の型紙職人が人間国宝として認定されました。
1983年(昭和58年)4月27日、通商産業省(現 経済産業省)により伝統的工芸品に指定されました。
外部リンク:伊勢形紙協同組合

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