垂井曳軕まつり

垂井曳軕(たるいひきやま)まつり

  • 岐阜県不破郡垂井町・八重垣神社
  • 毎年5月2日〜4日
  • 県重要有形民俗文化財

■ 解説
垂井曳軕まつりは、垂井町の氏神である八重垣神社の例祭です。その起源は古く、660年前の南北朝時代にあります。
1352年(文和元年)、南北朝の争乱で北朝・後光厳(ごこうごん)天皇は南朝軍に京を追われ、美濃国垂井の頓宮(仮の御所)に難を逃れます。そこへ京の祇園社より牛頭天王(ごずてんのう)※1を勧請し安泰の祈祷を行うと、天皇の心労を労った垂井の人々は3基の花車を造って曳き廻して上覧に供し慰めました。これが垂井曳軕まつりの始まりと言われています。
その後、五穀豊穣の祭となり、安永時代(1772〜80年)に曳軕(ひきやま)は舞台作りになり、男児による狂言や歌舞伎が行われるようになりました。
以来「垂井曳軕まつり」は、舞台作りの豪華な彫刻と飾金具などが施された軕(やま)、そして「芸児(げいじ)」と呼ばれる小学3年〜6年生の男児が演じる歌舞伎狂言も見事で、祭の見所になっています。
なお、祭は神事であるため「曳軕女人禁制、練込中横断禁止、二階よりの観覧厳禁、文化財の保護、投菓子類の禁止」です。

■ 祭事
1日目の試楽祭に、3町の軕倉(やまくら)から軕※2が曳き出され、それぞれ町の中で子供歌舞伎狂言が大人顔負けの演技を披露し観客を引き込みます。
17時頃は八重垣神社の前へと集まる「上り軕(のぼりやま)」があり、各軕の提灯に火を灯す「宵宮献灯(よいみやけんとう)」が行われます。そして一番軕の神前奉芸が奉納され、3基の軕が各町へ戻る「下り軕(くだりやま)」となります。
2日目の本楽祭の11時頃、芸児の「古式練り込み」と呼ばれる行列が垂井町役場を出発し八重垣神社へと向かいます。
12時頃に八重垣神社で芸児と3基の軕が合流し、神前奉芸が順次奉納されます。奉納を終えた軕は町の中へと曳かれ、各町内で「客軕(きゃくやま・見物客への子供歌舞伎が披露)」があります。
日が落ちると町内を曳かれる3基の軕の提灯に火が灯されて祭はいよいよ最高潮に。そして21時頃には中山道(県道234号線)の愛宕神社/大垣共立銀行・垂井支店の前で、道の両脇に据えた2基の軕の間を一番軕が通り抜ける「三町すりかすり」で、軕を曳く人も沿道の見物客も大いに盛り上がります。
3日目の後宴(ごえん)では、各町内での子供歌舞伎の披露、そして「青年の芸」があり、千秋楽となります。

■ 開催日時・場所
試楽:令和2年5月2日(土)
本楽:令和2年5月3日(日)
後宴:令和2年5月4日(祝)
場所:八重垣神社、中山道垂井宿一帯

お知らせ
令和2年は新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から中止になりました。そのため、子供歌舞伎・曳?は行われません。
外部リンク垂井町役場公式サイト> 垂井曳山まつり中止のお知らせ

※1 祇園信仰の神で、平安京の祇園社、今の八坂神社(京都)の祭神。素戔男尊(すさのおのみこと)と同一視される。 ※2 西町…一番軕・攀鱗閣(はんりんかく)、中町…二番軕・紫雲閣(しうんかく)、東町…三番軕・鳳凰山(ほうおうざん)

1961年(昭和36年)6月19日に、3基の曳山が岐阜県重要有形民俗文化財に指定されました。

外部リンク 岐阜県垂井町観光ガイド>イベント・お祭り情報>垂井曳やままつり

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